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| 担当: | 特派員 |
| 趣味: | 舞台鑑賞 |
| 好物: | チョコレート |
| 好きな場所: | 表参道並木道 |
| 好きなもの: | 甘いもの系 |
| 嫌いなもの: | 「どうぞっ」と譲り合いの末に残った一個、そしてその状況 |
あなたの疑問にそっとお応えするちょっとした疑問シリーズ。
第一回目は「骨董通り」
表参道の中でも高級ブティック店が並ぶ有名な通りではありますが、
そもそも骨董通りってなんで骨董通りって言うの?
やっぱり骨董屋が多いから骨董通りなの?
っちゅうことで、調べてみました。
「骨董通り」の名付け親は、なんと!
「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士として有名な、古美術商でエッセイストの中島誠之助さんでした。
中島さんは、1976年頃骨董店が集まっていた南青山に古伊万里染付の専門店を出店。
1979年に青山5丁目交差点から、六本木通り高樹町交差点を結ぶ通りを「骨董通り」と命名しました。
以降、中島さんのエッセイで骨董通りを紹介したり
『南青山骨董通り』(作曲・飯田三郎/歌・真咲みどり)という歌の作詞をするなど積極的に「骨董通り」の普及活動をされました。
この歌はマスコミにも取り上げられ、「骨董通り」は観光名所としても注目され始めます。
1980年後半には、高級ブティックが通りに進出し始め、女性ファッション誌などで、
通りの名前が多く使われるようになり、骨董通りの名前が広く浸透したといいます。
この通り周辺に骨董屋さんが多く集まったのは1950年代半ば頃で
通り沿いにある根津美術館(現在改築工事中)の影響があるといわれています。
根津美術館は、国宝や重要文化財などを含む「東洋古美術」を展示する美術館として1940年に開館しました。
1970年後半に80件ほどあった骨董屋さんは、
現在はわずかな店舗数になってしまい、時代とともに骨董通りも姿を変えていきます。
アナログなものが少なくなってきた昨今。
個人的にはこの「骨董通り」という情緒ある名前はいつまでも残ってもらいたいなと思います。
以上、骨董通りのちょっとした疑問でした!
次回もお楽しみに☆
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