表参道 歴史にゃんぽ
2015.01.20

金王八幡宮(1)~実は『おもてサンド』も氏子です!~

新年あけましておめでとうございます!
今年も『おもてサンド』と『表参道歴史にゃんぽ』を、どうぞよろしくお願いいたします!

ところで皆さんは初詣には行かれましたかにゃ? 有名な神社仏閣に初詣に行くのもいいと思いますが、地元の氏神様にお参りに行くのもとても良いと思うにゃん。
新しい年を迎えられたことに感謝し、また今年も頑張りますのでどうぞお守りください! とお祈りすれば、運気上昇、今年もいっぱい良いことがあると思うにゃん。

そこで今回は、渋谷・表参道界隈をお守りしている氏神様、『金王八幡宮』(こんのうはちまんぐう)』をご紹介します。場所はJR渋谷駅東口より徒歩5分、渋谷警察署の後ろです。
実は『おもてサンド』も氏子なんだにゃん。渋谷で働いている方、学校に通っている方、そしてよく遊びに行く方も、是非お参りにいって頂きたいにゃん!

金王八幡宮金王八幡宮

金王八幡宮 がお守りしている氏子区域って?

金王八幡宮の氏子区域はこちらになります。
だいたい、渋谷1~3丁目、南青山3~7丁目、北青山3丁目、道玄坂1~2丁目、松濤1~2丁目、神宮前 5丁目、神山町、神泉町、円山町、南平台、鉢山町、宇田川町、桜丘町、鶯谷町、猿楽町、 になるんだにゃん。

にゃんと! その中には、JR渋谷駅、青山学院大学、セルリアンタワー、渋谷マークシティー、ヒカリエ、クロスタワー、東急本店、渋谷西武、松濤美術館、エイベックスビル、根津美術館、国連大学、スパイラルホール……などなど、時代と流行の最先端スポットばかりでびっくりだにゃん!

渋谷駅東口にある渋谷ヒカリエ渋谷駅東口にある渋谷ヒカリエ
一日に50万人が渡る渋谷スクランブル交差点一日に50万人が渡る渋谷スクランブル交差点

渋谷は“日本のシリコンバレー”とか“ITベンチャーの聖地”、また、渋い(Bitter)と谷(Valley)をかけて“Bit Valley”なんて呼ばれています。金王八幡宮の氏子区域には、『DeNA』『LINE』『サイバーエージェント』『ウィルゲート』『GMO』『mixi』『ランサーズ』『トランスコスモス』『ソーシャルリクルーティング』……などなど、話題の会社が次々と生まれて急成長しているにゃん。これもきっと、氏神様の金王八幡宮のご加護だにゃん。

お話を伺った田所克敏様お話を伺った田所克敏様
『おもてサンド』の編集部にも金王八幡宮の御札があります『おもてサンド』の編集部にも金王八幡宮の御札があります

ところで八幡さまとは?

全国には『八幡宮』『八幡神社』『八幡社』『八幡さま』と呼ばれる神社が4万4千もあります。
八幡さまは、第15代天皇・応神天皇(誉田別尊・ほんだわけのみこと)、と応神天皇の御母・神功皇后(じんぐうこうごう)をはじめとする神様をお祀りしています。
総本山は、今から1300年前の神亀2年(725年)に創建された大分県の宇佐神宮になります。京都の石清水八幡宮(859年創建)、鎌倉の鶴岡八幡宮(1063年創建)は特に有名だにゃん。
武家の守護神、武運の神『弓矢八幡』として、古くから武将達に崇敬されてきたにゃん。

【参考リンク】
宇佐神宮HP(大分県宇佐市)
岩清水八幡宮(京都府八幡市)
鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)

源氏と平氏って何?

平安時代、京の都では貴族達によって、大変優雅な平安文化が花開いていました。そして天皇家の子や孫にあたる方々が臣籍降下(しんせきこうか・皇族の身分を離れて臣下の籍に下ること)して源氏や平氏を名乗り、全国に国司として赴任し、その地を治めていました。

金王八幡宮が創建されるまで

長元元年(1028年)、今の千葉県を中心とした房総三カ国(上総国、下総国、安房国)で、『平忠常の乱』が起きました。
この乱は940年の『平将門の乱』以来の大事件で、関東の神社の由来を見ると、この乱に向かう途中この地で戦勝祈願を行ったとか、勝った後にこの地で神様に感謝した、などの記述が結構沢山残っているにゃん。

この乱を見事に平和的に平定したのが、源頼信という方でした。源頼信は藤原道長に仕えて諸国の受領や鎮守府将軍などを歴任し、“道長四天王”と称され河内源氏の祖となった、大変立派な方です。

※河内源氏も大変由緒正しい家柄で、源頼朝や足利尊氏もその子孫にあたります。
徳川家康も河内源氏の1つ、新田氏の傍流の得川氏(とくがわし)を自称していたそうです。


この『平忠常の乱』での源頼信の活躍を目の当たりにし、関東にいた平氏系の武士達の多くが源頼信と主従関係を結びました。
このことが後に、源頼朝が鎌倉に幕府を開く地盤になったそうです。

そして、その時源頼信に仕えて大活躍したのが、現在の『金王八幡宮』を創建された平武基(秩父別当武基)でした。

平武基(秩父別当武基)は、桓武天皇(781-806)の曾孫の平高望(高望王)を祖とする桓武平氏のひとつ、秩父平氏の当主として、現在の秩父地方を治めていました。

寛治6年(1092年)、武基はその武功により、源頼信から『軍用八旒(はちりゅう)の旗』を賜り、そのうちの『日月二旒』を自分の本拠地だった武蔵国秩父郡の妙見山(武甲山とも?)に納め、八幡宮を崇め奉りました。

『平忠常の乱』(1028年)
<源氏と平氏の動き>
源頼信(河内源氏の祖、道長四天王)が『平忠常の乱』を平定。
<金王八幡宮に関する出来事>
平武基(秩父平氏の当主)、源頼信の元で活躍。戦勝を祝い、領地の秩父に『八幡宮』を崇め奉る。

※桓武平氏も、平将門や平清盛、北条氏を輩出した大変由緒正しい家柄なんだにゃん。
※八幡には“沢山の旗”という意味がありますが、幡(はた)や幟(のぼり)は、山や木や岩と同じように、神様が降り立つ“依り代(よりしろ)”なんだにゃん。

『後三年の役』の勝利は、八幡神のご加護!

永保3年(1083年)、今度は奥羽地方で『後三年の役』が起こりました。この乱を平定したのが、“八幡太郎”と称された源氏の棟梁、源義家でした。

そしてこの時活躍したのが平武基(秩父別当武基)の子の武綱と、そのまた子供の重家でした。 武綱はその武功により、源義家から河崎土佐守基家という名と、武蔵谷盛七郷(現在の渋谷、代々木、赤坂、飯倉、麻布、一ツ木、今井等)を賜りました。

さらに源義家は「この勝利は河崎土佐守基家が信奉する八幡神のご加護なり」とおっしゃって、秩父の妙見山にあった月旗を求め、今の渋谷に八幡宮を創建しました。 現在も『金王八幡宮』の本殿の下には、この時のご神体の月旗が埋められているんだにゃん!

そして『渋谷』氏、誕生

その後、河崎土佐守基家の子の河崎重家も、禁裡(天皇のお住まい、現在の京都御所)で賊を退治するという大手柄をたてました。その功績により、堀河天皇から『渋谷』の姓を賜りました。 こうして渋谷氏が誕生し、八幡宮を中心とした渋谷の地に渋谷氏の館が構えられ、後にそれが渋谷城と呼ばれるようになったにゃん! 
ナント渋谷には、渋谷氏のお城、渋谷城があったにゃん!

『後三年の役』(1083年)
<源氏と平氏の動き>
源義家(頼信の孫。通称・八幡太郎、源氏の棟梁)が『後三年の役』を平定。
<金王八幡宮に関する出来事>
平武綱(平武基の子)、その子・重家と共に源義家の元で活躍。武功により、源義家より河崎土佐守基家という名と、武蔵谷盛庄(現在の渋谷)を領地として賜り、『八幡宮』を創建する。
河崎重家(河崎土佐守基家の子)、手柄をたて『渋谷』の姓を賜る。居城が渋谷城と呼ばれ、渋谷の地名が生まれる。
ビルの谷間にホッとする鎮守の杜がありますビルの谷間にホッとする鎮守の杜があります
金王八幡宮・神門金王八幡宮・神門

渋谷金王丸の誠忠により、『八幡宮』から『金王八幡宮』となる

しかし渋谷重家には、なかなか子宝が授かりませんでした。重家は八幡宮に熱心に祈祷を続け、ある日、金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)が奥様の胎内に宿る霊夢を見ました。そして永治元年(1141年)、立派な男子がお生まれになりました。 重家はその子に、金剛夜叉明王から上下の二文字を頂き、『金王丸』(こんのうまる)と名付けました。

1156年に『保元の乱』が起き、17歳になった金王丸も源義朝(源頼朝の父)の家臣として京に上ることになりました。
その時、金王丸が自身の姿を彫刻し、母に形見として残した木像が、今も金王八幡宮の『金王丸御影堂』に納められています。金王丸は強いだけでなく、若い頃から親思いの優しい方だったんだにゃん。

『保元の乱』(1156年)
<源氏と平氏の動き>
源義朝、平清盛と共に戦い勝利。
<金王八幡宮に関する出来事>
源義朝(源頼朝の父)に従い、金王丸(河崎重家の子)活躍。金王丸の名声により、『八幡宮』が『金王八幡宮』と称されるようになる。
金王丸の木像が安置してある『金王丸御影堂』金王丸の木像が安置してある『金王丸御影堂』
※毎年3月最終土曜日の『金王丸祭』で御影堂のご開帳があります。
金王八幡宮・神門親近感を感じる狛犬さん

金王丸は保元の乱(1156年)で大きな武功をあげ、その名を世間に轟かせました。しかしその後の平治の乱(1160年)で主君の源義朝は破れ、敢えない最後を迎えます。
この義朝の最後を、京にいた静御前に伝えたのが金王丸でした。その傍らには、まだ乳飲み子だった義朝の子の牛若丸(源義経)もいたと思うにゃん。
金王丸は剃髪して土佐坊昌俊と称し、義朝の御霊を弔いながら、義朝の嫡男・源頼朝を助け、その後も忠義を尽くしました。

しかし『壇ノ浦の戦い』(1185年)で源氏が平氏を滅ぼした後、頼朝は弟の義経に謀反の疑いをかけます。そして土佐坊昌俊に、義経を討つよう命じます。
しかし土佐坊昌俊にとっては義経もかつての主君筋。頼朝の命令に従い義経討伐に向かいましたが、義経を討つことなど出来ず、縁の深い鞍馬寺で自ら義経に捕らえられ、武将らしい立派な最期を遂げました。

『平治の乱』(1160年)
<源氏と平氏の動き>
源義朝、平清盛によって討たれる。
<金王八幡宮に関する出来事>
金王丸、剃髪して土佐坊昌俊と名を改め、義朝を弔う。
『壇ノ浦の合戦』(1185年)
<源氏と平氏の動き>
平家、源義朝の子の源頼朝と源義経によって滅ぼされる。 しかし源頼朝、弟の源義経に謀反の疑いをかけ、土佐坊昌俊に義経成敗を命じる。
源頼朝、土佐坊昌俊の忠義を讃え、『金王八幡宮』境内に『金王桜』をお手植えになる。
<金王八幡宮に関する出来事>
土佐坊昌俊、頼朝の命令に従い義経成敗に向かい、義経に討たれる。

源義朝と頼朝に仕えた金王丸(土佐坊昌俊)の武勇は、『平治物語』や近松門左衛門の戯曲『源平盛衰記』『吾妻鏡』『平家物語』などにも語り継がれています。

その金王丸の名声により、それまで『八幡宮』、あるいは『渋谷八幡宮』と呼ばれていた神社は、『金王八幡宮』と称されるようになりました。

金王八幡宮の境内には、源頼朝が金王丸の誠忠を偲び、その名を名付け、自らお手植えされた『金王桜』が、今も美しい花を咲かせているんだにゃん。

金王丸という、忠義と武勇を誇った偉大なヒーローが、ここ渋谷にいたんだにゃん!きっと渋谷は、今も金王丸が見守ってくださっているから、こんなに発展していると思うにゃん!

金王桜金王桜(画像提供:金王八幡宮)
金王八幡宮・本殿 ※八幡宮のご神体の『月の旗』が、この本殿の下に埋められているそうです。金王八幡宮・本殿
※八幡宮のご神体の『月の旗』が、この本殿の下に埋められているそうです。

※次回は渋谷氏の居城、渋谷城についてご紹介するにゃん!

金王八幡宮
住所:東京都渋谷区渋谷3丁目5番12号
アクセス:渋谷駅(東口)より徒歩5分
電話番号:03-3407-1811
HP:http://www.geocities.jp/ynycr674/

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