歴史ぶらり旅
2011.08.01

第1回「えっ、表参道はむかし池だった!?」

記念すべき初回にまずお伝えしたいのが、表参道が通っているまさにその場所に大きな池があった、というお話です。


より大きな地図で 穏田の池(推定) を表示

池があったのは、神宮前小学校から表参道ヒルズに広がり、表参道を跨いでユニオンチャーチがあった一帯です。ユニオンチャーチの裏手の辺りに池の水源があったとされています。

池の名は「鐙(あぶみ)の池」、またの名を「穏田(おんでん)の池」といいます。「鐙」とは、馬に乗るときに足をかける道具のこと。それに池の形が似ていることから「鐙の池」と呼ばれるようになりました。
「穏田の池」の「穏田」は、表参道の南側一帯の昔の地名です。幕府に内緒の「隠し田」とか、「恩田(おんでん)」という名の侍が住んでいたとか、いくつか説がありますが、決定打はないようです。

そもそも表参道って?

表参道に池があったということは、そもそも表参道はいつできたんでしょうか?
大正9年(1920年)、明治神宮の造営とあわせて、明治神宮に参拝するために整備された道路です。名前に「参道」と付いていますが、明治神宮が所有しているわけではありません。表参道を整備したのは東京府東京市(現・東京都)で、いまは「都道413号線」となっています。 江戸時代、ここには広島藩浅野家の広大なお屋敷がありました。「鐙の池」は、浅野屋敷の敷地内にあり、浅野屋敷と「鐙の池」を分断する形で表参道が作られました。
資料によると、池を埋め立てるのは相当の難工事だったようで、「予想以上に砂利を使ってしまい、予算を追加してようやく埋め立てに成功し」(『渋谷の湧水池』P7)、また「工事中にローラーが池にめり込んでしまい、人夫が大変な苦労をした」(同上)ということです。


より大きな地図で 浅野家下屋敷(推定) を表示


「鐙の池」の痕跡を探しに、まちに繰り出してみました。

まず訪ねたのは神宮前小学校です。
事前に調べた資料によると、「昭和初期には、神宮前小学校校地内に豊富にわく水源があり、プール用水やミニ水車を回すのに使っていた」(『渋谷の湧水池』P6)ということで、池の名残をはやくも目にすることができるのかと、期待が膨らみます。
ちなみに、この地になぜ水車があるのか――。それは、またの機会に触れることにします。

教頭先生にお話を伺ったところ、確かに、昔は校庭に水が湧き出ていて、プールや水車を回すのに使っていたようです。それが、いまではすっかり水が枯れてしまいました。

いろいろ調べてみたところ、どうやら湧き水が枯れてしまったのには東京メトロ千代田線の工事が関係しているようです。
もともとは、ユニオンチャーチの裏手の水源から、北へ向かって水が流れ出て「鐙の池」をかたち作り、一部は地下に流れ伏流となり、あちこちから水を湧き出させていました。その地下水脈が、地下鉄の工事で分断されて、湧き水が止まってしまったのではないかと思われます。

「これは東京メトロに聞けば何か分かるのでは?」

そう思って取材の申し込みをしましたが、残念ながら取材はNG。気を取り直してユニオンチャーチと表参道ヒルズを訪ねてみましたが、そこでも取材に応じてはもらえませんでした。
「ならば自力で探すのみ!」と、水源の名残を探してユニオンチャーチ周辺を探検してみましたが、それらしきものは全く見付けられず……。

ここで取材が暗礁に乗り上げてしまったかと思いきや、取材チームの一員、まあや特派員から起死回生の提案が!

まあや 「ポールスチュアートの外壁の石垣は、表参道を作ったときに築いたものだって聞きました。お店に聞けば、何か分かるんじゃないでしょうか?」

ポールスチュアートのビルです。

その声を受けて、早速ポールスチュアートに突撃を試みました。
取材の趣旨を説明すると、ビルのオーナーさんに取り次いでくださいました。
日を改めて取材に伺うと、オーナーさんはすごいものを見せて下さいました。昔の表参道の写真です。

表参道ヒルズ側から見た光景

今では、ポールスチュアートのショウウィンドウが並んでいますよね。

空の広さも、いまの表参道と大きく違うところです。

石垣がドーン!坂もすごいですね。それもそのはず、ポールスチュアートがある辺りは、浅野屋敷(囲み参照)の中でも小高い丘があったところでした。お屋敷の名前をとって「浅野山」と人々は呼んでいたようです。

表参道を通すにあたって、「浅野山」を切り崩しましたが、そのままだと土が崩れ落ちてくる危険がありました。そこで、土崩れを防止するために築いた土留めの石垣だということです。

オーナーさんに池のことを訪ねてみると、「この辺りの歴史のさらに詳しいことは、この人に聞くといい」と、穏田町会の広報誌『おんでん』の編集をされている鈴木均さんを紹介してくださいました。

浅野のお屋敷って、どれぐらいの広さがあったんでしょうか?

鈴木:北は「ケアコミュニティ原宿の丘」の辺りから、南は表参道の二筋入ったところくらいまで、東は渋谷区と港区の境、西はキャットストリートの手前ぐらいまでです。

表参道の北側の昔の地名は原宿二丁目ですが、原宿二丁目のほとんどが浅野のお屋敷で、番地でいうと原宿二丁目170番地は全てお屋敷の敷地でした。
浅野家は税金を払うのが大変だったようで、徐々に土地を切り売りしていましたが、住む人は変わっても番地は同じままで、郵便配達の人が苦労していたということです。原宿二丁目一帯が神宮前四丁目になって、住居表示が整理されたのは、昭和40年(1965年)のことです。
同潤会アパート(現・表参道ヒルズ)も神宮前小学校ももちろん浅野のお屋敷の一部で、大正14年(1925年)から大正15年(1926年)にかけて相次いで売却しています。
神宮前小学校は初めのうち浅野家の土地を借りていたようです。大正15年(1926年)、同潤会から一部買い取り、昭和29年(1954年)大蔵省から買収して現校地になったようです。

鈴木:表参道ヒルズの横から斜めに入っていく道がありますよね。何であんな風に三角形に土地を使っているかと言うと、あの道は、浅野のお屋敷があるころからの古い道なんです。浅野家のお屋敷を突っ切る私道のようなものでした。もともと道があったすぐ近くに表参道を作ったものだから三角形の土地ができてしまったということです。出入口のところには、門番が住んでいました。

その三角形の先端のところに、公衆トイレがありますよね。実はあそこはいまも浅野の所有地なんです。あんな形なので買い手がつかなくて、大正15年(1926年)に千駄ヶ谷町(現・渋谷区)がトイレを整備して、面白いことに管理はなぜか赤坂区(現・港区)が行っています。あの辺りは区境なので、それでそういう不思議な管理形態になったんじゃないかと思います。

「渋谷区」と「港区」
東京は、江戸から明治になって以来、地名や行政区画が大きく変わっているまちです。「渋谷区」も「港区」もその例に漏れません。印象としては、渋谷区の方が大きく変動しています。
「渋谷区」が「区」に「昇格」したのは、昭和7年(1932年)のこと。それまでは町だったり村だったり郡だったりしました(あまりに複雑なので詳細は省きます)。いまでは東京で一番賑いのある渋谷のまちも、江戸時代の江戸の外れにあり、長らく「区制」とは縁がなかったんです。ちなみに、そのころの表参道一帯の地名は、大雑把に言うと、表参道の北側が「原宿」、南側が「穏田」でした。
「港区」は、江戸時代から江戸の中心にありましたが、「港区」ができあがったのは意外に新しく、戦後の昭和22年(1947年)のことです。といっても「区制」との縁は古く、明治11年(1878年)に「赤坂区」「麻布区」「芝区」の三つの区が誕生しています。昭和22年にはこの三つの区が統合して、「港区」となりました。なお、表参道で渋谷区と面していたのは、このなかの「赤坂区」です。

いまは表参道ヒルズのトイレと水が出るオブジェみたいなものがありますよね?

鈴木:あれは、きっと森ビルがうまくやっているんだと思います。渋谷区のトイレは命名権を販売していて、それを森ビルが買い取って使用しているはずです。オブジェの方は詳しくはよく分かりませんが、森ビルが土地を買い取ったんだと思います。非常災害用のために井戸を掘って、ときどき水を出しています。その水をオブジェに使っているかどうかは分かりませんが……。

鈴木:井戸ということで言えば、同潤会アパートのときに敷地内に井戸を二つ掘っていたようです。かなり遅くまで水が出ていたと聞いています。

表参道ヒルズ公衆便所

渋谷区の行政管理上の正式名称は「渋谷区立表参道公衆便所」ですが、命名権を使って名付けられた施設名称は「渋谷区立表参道ヒルズ公衆便所」です。
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/kosyu_ben.html

なお、渋谷区が公衆便所の命名権を販売したのは2009年1月30日のことです。
http://www.shibukei.com/headline/5899/

「渋谷駅西口公衆便所」と「恵比寿駅西口公衆便所」は、まだ命名権の買い手はついていないようなので、興味のある人は渋谷区に相談してみてはいかが?


というお話を聞いて、すかさず表参道ヒルズまで直行

ここが、井戸水を使っているかもしれないところです。

かつて池があった地には、いまも地下に水が流れている。

時代の先端をゆく表参道のランドマークの片隅に、かつてあった大名屋敷と池の名残を感じて、第一回のぶらり歴史散歩はこれにておしまいです。

撮影にご協力頂いた皆様

神宮前小学校 教頭先生
神宮前太田ビル 太田貞敏様、太田良博様
穏田町会 総務部長 鈴木均様

参考文献
『おんでん』(発行人の鈴木均さんには取材も協力していただきました)
『渋谷の湧水池』

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